~「ラカイン村・夢プロジェクト」応援企画~
バングラデシュの少数民族
ラカイン族の歴史を調べてみました !!
JAFS関東では、バングラデシュで厳しい生活を余儀なくされている
少数民族ラカイン族の村に、灌漑用井戸を贈るための活動を進めています。
ラカイン(Rakhine)族は、ミャンマー北西部アラカン州からバングラデシュ南東部
の地域に暮らし、紀元前から当地に王国を築いてきた古い歴史を持つ民族です。
ビルマと東パキスタンが独立したとき、彼らは住んでいる地域によって
その多くはビルマ(現ミャンマー)に、一部は東パキスタン(現バングラデシュ)にと、
国籍を分けられ、国を持たない民族となりました。
ラカイン族は、釈迦族に繋がる民族とされ、
イスラム教徒(89.7%)、ヒンドゥー教徒(9.2%)がほとんどのバングラデシュでは、
少数の仏教を信仰している人たちです。
バングラデシュにおいて、宗教も風習も異なる少数民族である彼らには、
国の保護も届かず、生活していくうえで必要なものも十分供給されていません。
度々の洪水など厳しい自然条件に翻弄され、共同体の維持も難しくなっています。
このラカイン族について沢山の人に知っていただくため、ラカインの人たちの
情報を掲載しているWebサイト “Rakhapura.com” で公開されていた、
ラカイン族の歴史を紹介した文書:「About Arakan Kingdom」を和訳して見ました。
かつて栄華を極めたラカイン族の王国について、記されています。
つたない日本語訳ですが、ご興味がありましたら、ご一読頂き、コメントなど聞かせていただければうれしいです。
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「About Arakan Kingdom」より (画像も当該文書より引用)
[注1] 下記文章では、原文で「アラカン人(Arakanese)」とされているところを「ラカイン族」として訳しています。
[注2] 下記文章では、ラカイン族の人たちの固有の歴史観が示されていますが、本ブログでは、この文書を紹介することにより、他の民族の方々を非難・否定する意図は一切ありません。ご理解いただけたら幸いです。
■アラカン
他国の人に「アラカン」として知られる その土地は、その地の人々 – ラカイン族(アラカン人) – からは、「ラカイン・プレイ [ラカインの祈り] (“Rakhaing-pray”)」 と呼ばれています。「アラカン」という言葉は、Shitethaung寺院の石柱のアナンダチャンドラ碑文にある古代の言葉”Arakha-de-sha”(アラカンの土地)に、その語源があります。
■ラカプラ
「ラカプラ(“Rakhapura”)」は、「ラカイン・プレイ(“Rakhaing-pray”)」のかつての名称です。ラカイン族は、今日では、彼らの土地を指すのに「ラカプラ」という言葉は使いません。しかし、ラカイン族の人たちは皆、「ラカプラ」という言葉を、この宇宙でラカイン族(アラカン人) だけのためにある独特の言葉として、愛しています。その言葉は、ラカイン族の古代・現代の演劇、詩、歌の中で使われています。
「ラカプラ」と「ラカイン・プレイ」は、どちらも、「ラカイン族が所有し住む土地」を意味する言葉です。
■ラカイン
ラカイン族の年代記によると、「ラカイン(“Rakhaing”)」という言葉は、「ラカプラ(“Rakhapura”)」に語源があり、「ラカプラに元から住む人たち」を意味しています。
Arakhadesha > Rakhasa > Rakkha > Rakkhaing > Rakhaing (訳注:言葉の起源)
パーリ語では、「ラカイン」という言葉には、彼らの国を愛し、彼らの国の遺産、伝統的な道徳やモラルを大切にする人々を称える意味が込められています。
■歴史
ラカイン族の歴史には、アラカンの地に移住した初期のラカイン族が、はるか昔から彼らの真の土地としてそこに定住していたことが記録されています。独立統治されたアラカンの仏教王国が、紀元前3325年から、ビルマ人に征服される西暦1784年までの間、栄華を極めたのです。
ラカイン族の歴史は、その何千年もの歴史を、4つの主要な期間に分けることができます。
□ ダニャワディ (Dhannyawaddy) 時代
第1期 ダニャワディ時代 (Marayu王朝:BC.3325年 – BC.1483年)
第2期 ダニャワディ時代 (Kanrazagree王朝:BC.1483年 – BC.580年)
第3期 ダニャワディ時代 (Chandra Surya王朝:BC.580年 – AD.326年)
□ ウェーサリー (Vesali) 時代 (Dvan Chandra王朝:AD.327年 – AD.1018年)
□ レムロ (Laemro) 時代 (Nga Tone Munn王朝:AD.1018年 – AD.1406年)
□ ミャウー (Mrauk-U) 時代 (Munn Saw Mwan王朝:AD.1430年 – AD.1784年)
■ダニャワディ時代
第1期 ダニャワディ時代(BC.3325年 – BC.1483年)
伝承によると、ダニャワディ (Dhannyawadi) 国(最初の独立したアラカン王国)は、紀元前3225年にMarayu王(ラカイン族の伝説的な英雄の始祖)が、創立しました。Marayu王はMro族の酋長の娘と結婚し、その地に以前より入り込んでいたbilus(幽霊のような生きもの)を打ち倒して、ダニャワディ (Dhannyawadi) 国を創ったと言われています。
■宗教
仏教は、仏陀卿自身が生きている間に、アラカンの地に伝えられました。
ラカイン族の年代記によると、紀元前554年、仏陀卿が500人の弟子を伴って、ダニャワディ国の都市を訪れました。Chandra Suriya王と全ての人々はこのときから仏教に帰依し、以来、仏教徒になりました。
仏陀卿がアラカンの地を離れる前に、「この出来事を記念して仏陀卿自身の姿を残して欲しい」と、王は仏陀卿に願い、仏陀卿はそれに同意しました。これこそが、仏教の世界に知れ渡った、有名なマハムニ (Mahamuni) (大聖)像です。多くの王たちが、この強大な至宝を手に入れるため、この国を征服し、像を我が物にしたいと欲したのです。
この像の歴史は、アラカンの歴史と絡み合っています。この偉大なマハムニ (Mahamuni) 像が完成すると、仏陀卿は、聖なるご自身の肖像とそっくりに作られたその像に、息を吹きかけました。
マハムニ像の起源を伝える伝説は、アラカンへの仏教伝来に関する寓話的説明として解釈することが出来ます。仏教の最初の痕跡は、ダニャワディ国のマハムニ寺院の初期の彫刻の中に、見ることが出来ます。
マハムニ寺院を奉じ、アラカンへ仏教を導入したChandra Suriya王に対し最大限の敬意を表すために、ラカイン族の人々は、もっとも畏敬すべきシンボルとして「太陽と月」の印しを、今日までの歴史を通じて、用いてきました。
そのシンボルはアラカンの古代の全ての貨幣に刻まれ、ビルマ(訳注:ミャンマー)のラカイン州の現在の旗・標章にも使われています。
■チッタゴンと12のベンガル地域の喪失
有能で強大な王の統治の下で、アラカン王国はベンガル湾地域で勢力の頂点に達しました。しかし、不適格な王がその後継となり、統治するようになると、その国の栄光と名声は徐々に衰退していきました。チッタゴンと他のベンガル地域は、西暦1666年にムガール(Moghal)帝国により侵略され占領されました。
■アラカン王国とその国民、国家のアイデンティティの喪失
ラカイン族の領土の一部が、ムガール(Moghal)帝国により侵略・併合された後、アラカンの宮廷では政権内の不安定や失脚が頻繁に起きました。この国の内部の弱みを好機と捉えて、ビルマ王朝の U Wine王は、1784年の11月央、友好善隣の倫理を破って、アラカンの地に侵略軍を送り込み、その年の末までにその地を占領しました。
ビルマ王朝 Maung Wyne王の侵略と支配により、アラカン王国の独立と主権は、1784年の12月31日に失われました。アラカンの人々は奴隷となりました。王宮の講堂の上に、国の栄誉を称え掲げられていた国旗は、引きおろされました。自由な国家としてのラカインの尊厳と栄誉と威信は、独立の喪失の後、たちどころに終焉したのです。
■アラカン地方
アラカンは、北はインド、東はビルマ(ミャンマー)、西はバングラデシュ人民共和国の間に位置します。南は、Haigri島まで広がり、南西をベンガル湾に接しています。
アラカン地方は、英国統治の時代まで、20,000平方マイルを超える広さがありました。しかし、ビルマの支配者は、ラカイン族の人々の同意も得ず、インドと接する北西部のアラカン丘陵地帯と南部アラカンの殆どの部分(Kyauk Chaung川から Negaris岬まで)を、アラカンの本土から切り離しました。この分割によって、今日のアラカン地方全体は18,500平方マイルに減少しました。それは歴史上のアラカンの領土の半分以下を占めるに過ぎません。
■ビルマのラカイン州
Ne Win将軍が率いる当時のビルマ社会主義計画党(BSPP: Burmese Socialist Programme Party)政府は、アラカン地方を州として認め、17の行政区からなるラカイン州が作られました。しかし、それはビルマ人が統治目的で作ったものでした。
今日のアラカン地方は、北緯16’00”- 北緯21’20”と 東経92’20”- 東経95’20”の間に位置します。
国家平和発展評議会(SPDC: State Peace and Development Council)を正式名称とする軍事政権が統治する、いわゆるビルマ連邦(訳注:現在のミャンマー連邦)において、アラカン地方は、正式名称をラカイン州とし、最も貧しい州のひとつとして知られています。
一方、ラカイン族の人たちは、「アラカン」という言葉を、1784年にビルマ王朝に占領される前の、歴史的・伝統的にアラカンとして知られる地域、を意味するものとして用います。ビルマ人による200年以上にわたる占領にも関わらず、ラカイン族の人々はビルマ人による征服と彼らへの隷属を拒否しています。 アラカンの独立運動は、その地が独立を失った直後に始まり、今日なお続いているのです。
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(以上、「About Arakan Kingdom」より)
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