能登半島地震被災地での支援活動
JAFS関東活動委員会では、呼びかけに応じてくれた会員・知人の有志5名で、5月26日(日)、能登半島地震被災地での被災者支援の活動に参加しました。
災害NGO結(yui) さんのコーディネートで、石川県能登町白丸地区と珠洲市で、被災家屋の復旧のお手伝いです。
石川県能登町白丸は、地震で強い揺れと4mを越える津波、火災に襲われ、同町内でもとりわけ大きな被害のあった地区です。私たちは、災害NGO結の活動に参加したボランティアの女性2名と共に、白丸地区の真言宗・遍照寺で、被災した本堂から、お寺のご本尊の祭壇や、食器棚などの家具類を運び出すお手伝いをしました。
お寺は、1月1日、地震・津波・大火に次々に襲われ、火事は目前で止まり難を逃れたものの、本堂は地震で大きく損壊。私たちが訪れたときは、ボランティアの手によって何とかご本尊は運び出されていましたが、本堂内は様々な什器や帳面が未だ手付かずのままでした。
ご住職さまは「ご本尊は運び出すことができたので、お堂は やむ無く解体します…。今の檀家の規模に合わせて、お寺はいつか小さく造り直したい」と、少し寂しそうに語っておられました。
お祓いの後、本堂から、大切なずっしりと重い祭壇2つを、4人がかりで、ご住職の読経に守られるように搬出。何とかお堂の前の、物置き場に移動させました。台所からは、壊れた食器棚を運び出し、別棟で無事だった食器棚と入れ替え。短い時間での活動でしたが、ご住職ご夫妻には、たいへん安堵いただくことが出来ました。
午後は、液状化で特に大きな被害のあった珠洲市へ。珠洲の街は、液状化による地盤隆起で至る所の電柱が傾き、倒壊した家屋の多くは、ひっそりとして手付かずの状態。地震から時が止まっているかのような街並みでした。
お手伝いに入った家屋は、床が地盤に突き上げられ、部屋の真ん中の床板が20センチ近く隆起して、いくつもの居室の床が波打っていました。床下を覗くと、基礎の支柱が傾き、危険な状態に見えました。
このご自宅から、1・2階のまだ使える畳10数枚と家具類を、一旦、倉庫へと運び出すお手伝い。
ご依頼主の方は、大きく被災したご自宅の罹災認定区分が適切なのかや、助成の可否などが分からないと、とても今後に不安な様子でした。適切なアドバイスはできませんでしたが、お話を伺い、行政に再確認することをお薦めし、作業を進めました。
このお宅では、畳や家具の戸外へ運び出しと、軽トラへの畳の積載は終えられたものの、倉庫への運搬は、あいにく時間切れで、NGO結さんと残った皆さんに引き継ぐことに…。
慌ただしく帰京する自分たちの車を、依頼主のご夫妻は、いつまでも笑顔で送ってくださり、後ろ髪を引かれる思いで、能登を後にしました。
支援活動に参加して
今回のボランティアは、短時間で十分なことはできませんでしたが、それでも多くのことを学びました。
能登では、災害NGO結をはじめ、多くのボランティア団体が、被災した方々に寄り添い、懸命な活動を続けています。
それにもかかわらず、罹災から5カ月近く経過した今も、インフラの復旧は途上で、損壊し崩れたり傾いたままの家屋が目立ち、家の片付けすらできない方も多くいらっしゃいます。
報道によれば(※1)、震災後3カ月の時点の統計ですが、被災地で活動したボランティアは延べ約1万人余りに過ぎず、熊本地震では1カ月で約6万人が活動したのに比べ、とても少ないのが現状です。
インフラの問題でボランティアの受け入れが制限された時期もありましたが、今は営業している店舗も少しづつ増え、ボランティアが活動する環境は改善されています。何よりも、多くの被災者の方が支援を待ち望んでいます。
JAFS関東は、被災地の支援を活動の主軸とする団体ではありませんが、今回の経験を通して、自分が本当にできることは何かを改めて考えさせられました。まだまだ復興には時間がかかりそうですが、被災地の方々が笑顔を取り戻せるように、これからも支援していきたいと思います。(文責:JAFS関東活動委員会 川崎)
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※1:産経新聞 「静かすぎる能登」 ボランティアまだ1万人、復旧遅れで受け入れ進まず
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