フィリピンの台風被災地支援のため現地に渡っていた、JAFSプロジェクトコーディネータの松井聡子さんが、帰国されました。松井さんからの支援活動の報告を、Facebookから転載させていただきます。
◇ ◇ ◇
12月5日。 パナイ島パンダン町に来ています。
このパナイ島でも多くの世帯が被害を受けました。
特に建築資材が軽微な家(=収入が少ない世帯)が全壊・半壊となっています。
セメントブロックの家や建物は被害が少なかったのですが、屋根が吹き飛んだり、電柱が倒れました。国道から少し奥に入ると被害状況が見えてきます。
それでも、ここの人の前向きの気持ちは驚くほどです。
台風の翌日には、人は出てきて道路を覆っている大木をのこぎりで切ったり、吹き飛んだ資材を片付け始めていたそうです。
学校も屋根のない中、木の下に集まって授業したりと、台風から1週間後には授業を再開していました。
このあたりは、レイテ・サマールを見てきた者としては、人の動きの違いには驚きます。
亡くなった方の数が少なかったのも一因していると思います。
パンダン町でも特に被害の大きかった500世帯をリストアップし、明日には食糧と生活物資を配布します。
JAFSとパンダンとは、1994年からの水道プロジェクトのつきあいで、水道建設以降、植林活動を行ってきました。幸いにも水道の方は被害がなく、ディーゼルエンジンでポンプアップしているので、停電していても自由に水道が使えています。これは他の場所ではなかなか見られないことです。
また、今日はパンダン以外にも被害の大きかった4つの町にも行って、被害状況の確認と
さらに物資を渡せる2000世帯(全壊・半壊)をリストアップできました。(バルバサ町、コラシ町、ティビアオ町)支援はきていても、2-3日しか持たない量だったりすることで、これから先の不安を訴えておられました。
収入源のない中でいかにして過ごすかが問題です。
被害は、沿岸部だけでなく、山間部も甚大で、すべての家が全壊になっている村もあります。
沿岸部は支援が集中しやすい一方で、山間部は道路から2時間歩くしか術がない村であり、支援が行き届いていない状況なので、バルバサ町では特に山間部に集中して1000世帯を決めました。
少しでも多くの人に届けられたらとの思いで、こちらの内容物の種類は少ないですが、残りの資金でなるべく多くの人にと思っています。
さぁ、これからリストアップした方に渡す クーポン券(明後日分)作りです。
12月6日 は、パナイ島のパンダン町の家屋全壊・半壊の方500世帯(2500人)を対象に食糧・生活物資を、133世帯(665人)に屋根材と釘を配布することができました。
パンダン町29村の内、23村の、もっとも被害の大きく、各々では食糧確保や家を直す費用を出すのが困難な人が対象です。
さすが、10年以上ずっと一緒にやってきたパンダンメンバーなので、コミュニケーションもスムーズですし、
パッキングはパンダン職業訓練高校に協力を依頼したら、ふたつ返事で丸2日、生徒約40人が手伝ってくれました。
家の被害が大きかったので、物資の中では、雨風をしのぐための、キャンバスシート(日本でいうブルーシート)がとても喜ばれました。
パナイ島の被害は、国道から離れて見えない場所(海岸沿いと山間)です。
パンダン町以外に南に下ったセバステ町、コラシ町、ティビアオ町、バルバサ町の4町を調査しました。
台風の被害の大きい場所として、あげられるのが、最初にあたる入口と、抜ける出口です。
今回の台風の入口が、レイテ島のタクロバンより南。
そして出口が、パナイ島のコラシ町~バルバサ町となりました。
12月7日 には、支援が行き届いていないバルバサ町の山間部1105世帯(5525人)を対象として、JAFSからの物資と、マニラで物資協力を受けたABSテレビ局の物資を一緒にして配布することができました。
車で入れるギリギリのところまで行って、そこを中継地点として、村の人たちには山から下りてきてもらいます。
インタビューした一人の女性レミリンさんは、なんと物資を受け取るために、片道、なんと4時間かけて、山から降りてきています。
村の全て世帯が全壊した場所です。物資を受け取りに来ているのが女性たちばかりなので、なぜかと聞いたら、
収入源が少ない山中の男性は、季節労働者(サガダ)として、みんなネグロス島にサトウキビの収穫の出稼ぎに行っているというのです。
村に残っている女性と子どもだけの生活です。
全壊した家の資材を使って、組み立てるのも女性です。
台風の時のことはラジオで予報を聞き、少しでも頑丈な木造の家に逃げたそうです。
屋根材はとても喜ばれました。マニラでフィリピン人も驚くほど安くしてもらったのですが、材質もしっかりしていて、耐久性のあるものをお渡しすることができました。
今日は山に登る道中で、橋が倒壊したり(これはかなりギリギリでした)、狭い道で車輪をぬかるみにはめたりと、ハプニングはありましたが、何とか無事に活動することができました。
さぁ、これでようやく、一旦の物資配布を終えることができました。
今晩は、みんなで小さくお祝いです。長旅も終わりに近づいています。
12月8日。 マニラに戻って、最終確認とミーティング、会計をし、12月9日 には無事に帰国しました。
今回の約20日間の活動で、合計2650世帯13,050人に食糧・生活物資・屋根の資材をお渡しすることができました。
多くの方のご協力あってのことです。感謝。
また、現地ではまだまだ緊急状態は続いています。
また今後も引き続き活動に力を入れていきたいと思います。
(松井 聡子)
この記事へのコメントはありません。