第4回小谷村ワークキャンプに参加して(1)
2011年8月25日(木)~28日(日)、長野県小谷村立屋の共働学舎にて開催した、
小谷村ワークキャンブ。
参加者の皆さんが、感想・手記を送ってくださいました!
今回は、ワークキャンプに初めて参加くださった、
塾講師の大学生、三村さんと吉橋さんからの手記を紹介します。
真木の共働学舎への茅運びなど、限界に挑んだ体験や
共働学舎の皆さんとの交流を通じて、得たものが何だったのか。
参加者されたお二人が感じた純粋な気持ちを綴ってくれています。
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□■晴耕雨読 (三村 さん)
-晴耕雨読-
この言葉は、由来こそハッキリとしていないものの、日本独自のものであることがわかっている。”晴れた日は畑を耕し雨の日には家で読書をする悠々自適な生活”というこの言葉は、まさに小谷村の共働学舎の生活のそれを表しているかのように思う。それ程、この前過ごした小谷村の生活というのは清清しいものだったのだ。というのが、そのすがすがしさがひどく自然なものであったから、その事について申し上げようかなと思う。
ひょんなきっかけで二日ほど小谷村に行くこととなったが、この村の、もう少し高いところまで山を登っていくと真木という、自給自足の生活をしているところがある。そこでいくつかの肉体労働に参加させて頂いた後、昼食をご馳走になった。
萱を背負って山を登り、汗だくになっていた私には、この真木という所が如何にも健全で、禁欲的な場所に見えた。すっからかんになった体に、長野の、これまた自給自足で作られた新鮮な野菜尽くしのチャーハンを放り込んで、より神聖な何かに取り付かれて俺は「ここまでして何故、俺は悟れないのか。」と云う事について考えながら家のなかをふらふらと歩き回った。
すると、本棚の中に懐かしい本を見つけた。サリンジャー、ライ麦畑でつかまえて。なんだ、これでええのか、と思って畳の上に寝転がると、次の労働の準備の為に俺は少し眠ったのだった。
なんとなく、心が晴れた気がした。
□■助け合うこと (吉橋 さん)
様々なものが機械化されていく社会での手作業の農業は、新鮮で尚且つ貴重な経験でした。共働学舎の皆さんと共に2日間を過ごして、特に強く感じたのは、人間は本当にお互いを助け合って生きていることでした。
農作業は、自分が想像していた以上に大変なことばかりでした。薪割りや茅運びなど、普段の生活では体験し得ないことの連続で、常に息を切らした状態でしたが、その中にも休憩時間中の会話を通じてコミュニケーションをとるなど、大変なこともあれば、楽しいこともありました。
このたびの機会で、お互いを信頼し助け合っていくことが今の人々にとって必要なものだと感じました。塾講師の一人として、生徒との信頼関係を大切にし、少しでも心の糧となれるよう、頑張っていきたいです。
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